通信特別号新年のご挨拶と、ご報告

新年のご挨拶とご報告

2022年を迎えました。
本年も宜しく御願い致します。

そして、新年を迎えまして、真っ先にお伝えしなければいけないことがあります。

長年世話人として働いてくださった荒木さんが、2021年12月30日、永眠いたしました。
数か月に及ぶ闘病生活の中、何度ももうじき帰るからと、電話をくださり、復帰を信じていた荒木さん。
つい先日も、ふたたび帰るのでと繰り返しおっしゃっておりました。
私共もその言葉を尊重し、最後まで雇用を継続しておりました。
利用者さんは勿論、職員一同心に深い悲しみと、感謝が入り交じって
いまだに、気持ちの整理がつきません。

誰よりもアミティエを愛してくださいました。
共に過ごした10年以上の月日。毎日、花を飾ってくれた気遣い。
ロクとナナを実の子のように大切にしてくださった。
自転車で何処までも自然を探しに飛び回っていました。
美味しいご飯を作ってくださいました。
オシャレな方で、旅行の時は一際目立って都会人でした。
でも、山形弁を話すので、喋ると優しさが際立ちました。

みんなで色んな所に行きました。恥ずかしがり屋で、控えめでした。
でも、いざという時は、みんなを守ってくれる強い方でした。

働き出して初めて迎えた母の日。
私(金井)からピンクのエプロンをあげると、母の日に何か貰ったことなんてないって、子供のようにとても喜んでくださいました。
あの時の笑顔はプレシャスです。
それから、私は母の日に荒木さんに毎年プレゼントを贈るのが恒例になりました。
時には、母のように、利用者さんと接してくださいました。
利用者さんには、お母さんと本気で呼んで信じていた方もおりました。

余命宣告を受け、面会が許されたのは永眠する2日前でした。
来たよ!と声をかけると、意識不明だったのに、急に目を大きく開けて、手を出して、大きくうなずいてくださいました。

私達はいつも、荒木さんに甘えてばかりで失うことなんて考えていませんでした。
永眠の電話をいただいた時、頭の中が空っぽになってしまいました。

このたび2022年を迎えるにあたり、最後まで年賀状の発送を悩みましたが
やはり遅れてですが発送することにしました。

でも、アミティエはお飾りなどは控え、ひっそりと年越しをし、新年を迎えました。
3日、アミティエ全員でお焼香させていただきました。
3日の空はとても晴れておりました。

そして、ありがとうをお伝えしてきました。

その日、ご家族の方が写真と花と一緒に、いつも荒木さんがくれるお菓子を持ってきました。
快気祝いのつもりで、自分で用意して病室に置いてあったそうです。

アミティエに帰りたいんだぁ。
みんなの顔を見ているだけで幸せなんだぁ。最後までそう言ってくださっていた。
ありがとう、そこまでみんなを愛してくれて。

荒木さん、あなたはこれからもアミティエの職員です。
そしてアミティエの歴史に刻まさせていただきます。

思い出ではなく、全てが宝物です。

こころ旅が大好きでしたね。よく、一緒に見ましたね。テーマ曲、私はすっかり歌えるようになりました。

そして、これからは世界中を飛び回ってください。
私たちはいつも空を見上げ、今は何処を旅しているんだろうと貴女の笑顔を見上げ、優しいお声を聞きながら、これからも生きていきます。
旅の途中でたまにアミティエにも寄ってください。

お疲れ様でした。本当に荒木さんが大好きです。
今もこれからも永遠に。だからさよならは言いません。ありがとうございました。

ご冥福をお祈りします。

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